毎日歩き働き遊ぶ新宿三丁目という街の理由を考える

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新宿三丁目新聞編集長のGENTAです。
副都心線で新宿三丁目に通い、地上に出て伊勢丹の前を抜け、世界堂の角を曲がり、末広亭の提灯を横目に歩く。そんな日常を何年も繰り返していると、ふとした瞬間に思うことがある。なぜ「三丁目」と名のつく駅はこんなにも多いのだろうか。四谷三丁目・・・本郷三丁目・・・。そしてなぜ、新宿の三丁目には歴史ある店や企業がこれほど集まっているのだろうか。

地方の方にとって、新宿はいまだに「歌舞伎町=怖い」というイメージが強いかもしれない。でも、わたしが毎日歩いている三丁目は、まったく違う顔を持っている。今日はその理由を、都市の歴史と重ねながら整理してみました。

三丁目という地名が持つ都市の構造

日本の都市は「丁目」という単位で区切られている。新宿はもともと「内藤新宿」という甲州街道の宿場町がありここを起点として、一丁目、二丁目、三丁目と外側へ広がっていくのが基本構造だ。けれど都市の発展は単純な円ではない。交通、街道、土地の広さ、資本の流入によって重心はずれていく。新宿はかつて甲州街道沿いの宿場町だった。やがて鉄道が通り、東京が西へ拡張していく。中央線沿線に住宅地が広がり、新宿は“郊外への玄関口”となった。

そのとき、大きな敷地が確保でき、街道に面し、駅にも近かったのが三丁目だった。一丁目は旧来の宿場町の色が濃く、二丁目は住宅地としての性格が強かった。三丁目には「拡張できる余白」があった。だから三丁目という地名は偶然多いのではなく、都市が成長するときに選ばれやすい場所でもある。四谷三丁目もそうだ。三丁目は、中心から少し進んだ“ちょうどいい場所”なのだ。

伊勢丹が置いた最初の核

2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影

この街の物語を決定づけたのは、やはり伊勢丹新宿店 の存在だろう。もともと神田にあった伊勢丹が、まだ郊外だった新宿へ本店を移したのは大正時代。当時の商業中心は日本橋や銀座だった。それでも伊勢丹は新宿に賭けた。

理由は明快だ。東京は西へ広がっていた。中央線沿線に中流層が増え、山の手文化が育ち始めていた。そして三丁目には百貨店を建てられる広い土地があった。百貨店は街の格を決める装置だった。伊勢丹が核となり、人が集まり、周辺に店が生まれ、文化が育った。わたしが毎日歩くこの通りは、百年以上前の「未来を読む判断」の延長線上にある。といっても良いと思う。

関連リンク:伊勢丹新宿店 新宿出店90周年〜新宿の街とともに〜

文化と商業が混ざり合った三丁目

1897年(明治30年)創業。創業100年以上(2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影)
1940年(昭和15年)創業。創業85周年(2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影)
1947年(昭和22年)創業。創業79周年(2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影)
1951年(昭和26年)創業。創業75周年(2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影)

三丁目の魅力は、単なる買い物の街ではないことだ。新宿末広亭 では今も落語が上演され、世界堂 新宿本店 には学生やクリエイターが集まり、追分だんご本舗 の暖簾は昔と変わらず街角に揺れ、どん底の建物は守り神の様に包み込んでくれる。

ここには「消費」だけでなく「文化」がある。

戦後、新宿は闇市から復興し、映画館や劇場が立ち並ぶ娯楽の街へと変わった。西口が超高層ビル群へと変貌していくなかで、東側、とりわけ三丁目は、商業と娯楽と食が混ざり合う成熟した街として育った。歌舞伎町のネオンだけが新宿ではない。三丁目には、百年単位で積み重なった時間がある。

関連リンク:新宿末廣亭
関連リンク:世界堂・新宿 – 文具・画材・額縁の専門店
関連リンク:新宿追分だんご本舗
関連リンク:新宿・どん底 1951年創業 新宿の老舗居酒屋

毎日歩くからこそ見える三丁目の顔

副都心線 新宿三丁目駅構内(2026年2月19日(木)新宿三丁目新聞撮影)

新宿三丁目駅 に到着し、地下通路を抜け、地上に出る。

伊勢丹のショーウィンドウは季節ごとに変わり、末広亭の前には開演を待つ人が立ち、世界堂には大きなキャンバスを抱えた若者がいる。その風景は派手ではない。でも確実に豊かだ。三丁目という地名が多いのは、都市構造上「発展の余白」を持ちやすい場所だから。そして新宿三丁目に歴史ある店が集まったのは、最初に置かれた大きな核と、それに続いた文化の蓄積があったからだ。

街は一夜ではできない。百年単位の判断と、人々の営みが重なって今がある。だからこそ、遠方から来る方に伝えたい。新宿は怖い街ではない。少なくとも三丁目は、東京の歴史と文化を体感できる場所だ。百貨店を歩き、寄席で笑い、老舗の団子を食べ、画材店を覗き、どん底でお酒を嗜み、地下鉄で帰る。その一日だけで、この街の奥行きはきっと伝わる。

わたしは今日も三丁目を歩く。何気ない日常のなかに、百年分の時間が折り重なっていることを、少し誇らしく思いながらねっ。

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